注意
- 雉明が「五光ノ獣」の姿になります。
- 真ENDルートなので、「五光ノ獣」とは闘っていません。この姿で会ってもいない(はず)です。
- 七代と零は、封札師の同僚で恋人という設定です。
【1】
正式に《呪言花札》の支給を認めた恩を返せと言わんばかりに、春休みだというのに、俺はOXASにこき使われていた。
まれに、封札師自身が入手したカミフダが支給される例はあるそうだが、何せこれだけ強大な力を持ちうるカミフダだ。駆け出しの封札師に保管させていいのか、と内部では随分もめたらしいと聞く。
そして今、俺たちは洞の中で、銀色の狐を追っていた。各所で悪戯を繰り返しているカミフダが変化した姿だ。
逃げ足が早いためになかなか捕まえられず、追いかけっこもそろそろ飽きて来た。
すっかり地形は覚えたが、それは相手も同じ。今もあと少しということですり抜けられてしまい、走って追いかける。先に、分岐が見えた。
「ちっ、すばしっこい奴め。零、二手に分かれるぞ」
「わかった」
先の探索で、二つの道はやがて一つに合流することがわかっている。俺が奴の後を追って右の道へ駆け込むと、零は左の道へ消える。
それからしばらく、一対一の追いかけっこをする。届きそうで、届かない。もしかして、奴は『遊んでやっている』と思っているのかもしれない。ため息をのみこむ。
やがて狐は、壁のくぼみに灯るあかりの前で、くるりと前転する。次の瞬間、炎が踊りだすかの様に飛び出して地面や壁を這った。
「うわ……ッ。――って、違うだろ!」
実は幻の炎なのだが、咄嗟に身をかばってしまう。この狐、相手を傷つけようという意思はないようで、幻術は使っても怪我をするような本当の攻撃は仕掛けてこない。
だからこそ、こちらもいまいち過激な手段を使いづらく、長引いてしまっているのだが。
ひるんだ隙に距離を離されてしまい、追いかける。
狐が消えた曲がり角の先は、ちょうど中間地点だ。そろそろ零と合流できるか、と思いながら角を曲がった俺の目に飛び込んできたのは、別の大きな獣の姿だった。これは――幻じゃない。
「くっ、仲間を呼んだか!」
顔は犬に似ているが、黒い毛並みの一部が青緑に光り、花らしき紋様が浮かび上がっている。とても優美な姿だ。
きれいだ、と一瞬見とれてしまった自分を、そんな場合じゃないと叱咤する。
獣の身体はほっそりとしているが、しなやかな筋肉がついているのが見て取れる。前足には鳥のような鋭い爪。知性を感じさせる顔つき。おそらく、今追っているカミフダよりも強い。
まだ零はたどり着いていない。一人では、獣を相手にしているうちに、狐に逃げられそうだ。
などと、頭を働かせながら獣を伺うと、俺が武器を構えるのを見て獣が少し頭を垂れる。それが、なぜかとても悲しそうに見えて、俺は瞬いた。
何だろう? この、こみ上げてくる罪悪感は。
獣は俺から顔を背けると、狐の背後に回り込んだ。狐を挟んで、俺と獣が向かい合う。
まさか、援護してくれようというのか?
状況がよくわからないまま、だが試しに俺が左へ動くと、獣は右に動く。逆に動いても同じで、必ず狐を挟み込む形になる。
「助けてくれるんだな?」
ダメもとで声をかけると、獣は小さく首を縦に振ったように見えた。
そうして、獣の援護のおかげで、どうにか狐を捕まえて札に戻すことができたのだが。
――結構な時間がたっているのに、零が来ない。
だというのに俺は、少しも焦っていない。
俺が感じていたのは、焦りではなく、困惑。
「……零……?」
呆然と呟くと、獣は地面に降り立ち、俺の真ん前で伏せのような姿勢をとったのだった。
【2】
「一体どういうことじゃ! 何故そのよう姿をしておる!?」
『すまない……』
頭の中に声が響く。意識して話しかければ、鴉の姿をとった白のように意思疎通をはかることができたのだが、最初は零も相当混乱していたために思い当たらなかったらしい。
白に話を聞こうと洞に来てもらったのだが、この驚きようだと心当たりはなさそうだった。
『狐とぶつかった瞬間、まるで体の中で爆発が起きたような衝撃があって、気づいたらもうこの姿になっていたんだ』
「戻れぬのか?」
『無理だった。おれの意思で変化したわけではないから』
零が申し訳なさげにうなだれる。図体は大きいのに、仕草はどうも可愛らしいというか……。
「伊佐地さんに連絡して、調べてもらってる。捕獲したカミフダは人の言葉を解さない類らしくて、話も聞けなくて」
「ふむ……。原因は、やはりそのカミフダであろうか」
「多分な。一応他の原因も探したら、人をカエルや猿にする呪術があるらしいが」
『おれは、全く別のものに変えられたわけではない。これもまた、おれの姿のひとつだ』
よくよく見れば、獣の配色は零が鬼の姿になった時と同じだし、ただの花だと思った柄はよく見慣れた花札だ。
「ということで、今は状態を観察しつつ待機」
「……」
現状の説明を終える。白はしばらく黙り込み、落ち着かなく扇を閉じたり開いたりしていた。
「どうした?」
「千馗は……恐ろしくないのじゃな」
「そりゃ怖いよ。このまま零が戻らないんじゃないかって思うと。自分の体が思い通りにならないのは辛いものだし、他にまだ気づいていない変化もあるかもしれないし」
「そうではなく! ……妾たちが人と異なる存在ということが、じゃ」
目を伏せる、少女と獣。何を考えているかと思えば。
「馬鹿、何言ってんだ。どんな姿になったって、俺はお前たちが好きだよ。離れるつもりはないから、覚悟しとけ」
「ッ! 勝手に言っておれ! ……妾も少し、様子を探ってくる」
「ああ、頼む」
『すまない』
「謝るのはもうよさぬか。我らは――仲間じゃ」
照れくさそうに言うと、白は鴉の姿へと変化し飛び去って行った。
「さて、と。伊佐地さんや白から連絡が来るまで、ずっとここに居る訳にもいかないよな」
『ここにいては風邪をひく。きみだけでも、戻って欲しい。おれは平気だから』
零が俺に訴える。洞の中の空気はひんやりとしていて肌寒い。
確かに零の毛並みはふさふさとしていて温かそうだが、普通の状態と違う今、一人置いていくのは心配だ。
かといって、白い鴉なら他の鳥と見誤ってくれるが、零は犬と言い張るには無理のある姿と大きさだ。このまま街中を歩いていると、通行人を驚かせてしまう。
そこで。
「今、思い付いたことがある」
と言って、俺は今まで試していなかった”変化”を零に提案したのだった。
【3】
翌日の昼過ぎ、俺たちは鴉羽神社の居間で再会した。
『おかえり、白』
「お疲れさま」
「まだ元に戻らぬか……」
鴉から人の姿に戻った白が、落胆のため息をつく。
零は人にも鬼にも札にも変われないままだった。
だが、俺が考えた通り、大きさだけはある程度変えられることがわかったので、俺の服に包めるように猫くらいの大きさになってもらい、無事鴉羽神社までたどり着くことができたのだった。
清司郎さんも朝子さんも、驚いたものの、零を受け入れてくれた。第一声は「何を食わせればいいんだ?」だったあたりが、清司郎さんらしいというか。
体を小さく保つ方が負担が大きいらしく、隠れる必要のない今は、廊下の幅に会わせて大型犬サイズだ。
俺は伊佐地さんと連絡を取りつつ、零に他の変化がないか様子を見ていた。
「例の狐が力をつけたのは、ごく最近のことらしいの。狐が隠れておった洞の近くに昔からいた神使が、なぜ突然、と不思議がっておった。カミフダと言っても、ほとんど情報を蓄えておらぬがゆえに、見逃されていたらしいが」
『では、最近、情報を得るような何かがあったのだろうか。だが今は、一切沈黙しているのだろう?』
「そういえば、あれだけ振り回しておいて、最後はやけにあっさり捕まったもんだと違和感があったな」
「零の変化と関わりがあるやもしれん。其方は何か知らぬのか?」
「そうですねえ」
「うわっ」
ちゃっかり聞いていたらしい鍵さんが、いつの間にか俺の横に座っていた。
「これはこれは、お化けにでも会ったような驚き様だ。傷つきますねえ」
「気を抜きすぎじゃ。妾は気づいておったぞ」
「悪かったよ。それで?」
「狐と言っても、向こうは私らと同じ存在じゃあ、ありやせん。ですが、ちょいと気になることがありましてね。――まるで、酔っぱらっているようなんですよ」
「酔っぱらう?」
「ええ。人だって酔えば性格が変わって、常日頃はやらないような悪戯をしでかす者もいるでしょう。そして限界を超えて飲めば、記憶をなくし、翌日はろくに動けなくなりやす」
「鍵さんもそんな経験が……?」
「さて。どうでしょうねえ。ま、酔うのは酒とは限りやせん。身の程に合わない力に酔う者も――ところで、先ほどから坊は何をしているんですかい?」
怪訝そうな鍵さんの視線の先は、俺の手元。俺は、零の頭部から首にかけて、ふさふさと生えているたてがみをいじっていた。
「ええと……毛繕い?」
「は?」
『おれは自分でできると言ったんだが……』
「そう言うなって。手触りがいいし、あったかいし、つい手が伸びるんだよ」
というのも嘘じゃないが、全てでもない。
どうも、零が余所余所しいというか他人行儀というか。俺と距離を置こうとしているように感じる。
何か良くない考えを巡らせて、結論を出そうとしているんじゃないかと心配になってしまう。
「そういえば、私の耳にも触ろうとしていやしたね」
「妾が鴉の姿になった時もそうだった。つくづく変わった人じゃ」
『……話は終わったんだろう? そろそろ、放してもらえないだろうか』
「おっと、悪い。うっとうしかったか?」
『そうではないのだが……。少し、休みたい』
「なら今布団を、」
『いや、平気だ。ここで構わない』
俺が言い終わるより早く、零は俺の手から逃れて隅に移動し、うずくまって目を閉じてしまった。
鍵や白と視線を交わす。彼らも零の元気の無さを心配している。
零の精神が参ってしまう前に、早く元に戻って欲しい。
だが、そんな俺たちの願いもむなしく、三日後も零はまだ戻れずにいたのだった。
【4】
昨日は遅くまで、伊佐地さんから事情を聞き、心配して来てくれたいちると、例のカミフダを捕獲した洞を探索した。残念ながら、手がかりは無かったが。
帰って来たのは朝方近くだった。少し体を休めようと居間の畳で横になったところで、記憶が途切れている。ぐっすりと眠ってしまっていたらしい。
意識がすっと浮上し目を開けると、すぐ近くに零の顔があった。心配そうに、俺をのぞきこんでいる。零の方からこれだけ近づいてくれるのは、姿が変わってから珍しい。
だが、俺が起きたとわかった途端、苦しそうに眉を寄せた零に距離を取られしまった。
『よく、眠っていた。あまり、おれのために無理をしないでほしい』
「好きでやってるんだから、平気だよ。……で、キスしてくれないのか?」
『……え……?』
「今、そのつもりだったんじゃないのか?」
暗い雰囲気を追い払うように、零をからかう。こういうことを言うと、普段なら恥ずかしそうにしながらも表情を緩めてくれる。
けれど、返って来たのは、沈んだ声だった。
『……いま、おれがきみにふれるのは許されない、と思う』
「まだそんなことを」
『きみが、この姿のおれを嫌わないでくれるのは、とても嬉しい。だが、おれの牙や爪は、主を守るため敵を傷つける武器だ。ひとにふれていいものではない』
零の声や動作から深い悲しみが伝わってくる。
こみ上げてくる愛おしさに、鋭い爪のある指をとらえて、両手で掴んだ。零は慌てて引き抜こうとしたが、無理をすればその爪で引っ掻いてしまうと思ったのか、身動きを止めた。
『千馗、頼む、やめてくれ』
泣きそうな声で言う零に構わず、そっと指に口づける。零の戸惑いを消すために、何度も何度も。
そして最後に、固く結ばれた口元にも口づけた。零が、びくっ、と大きく跳ねる。かなり動揺しているようだ。笑いながら、手を放した。
「はは、やっぱり勝手が違うな」
『……きみは……きみは、どうして……!』
「ちゃんと、できただろ? 何が許されないって?」
『こんなこと……どうしてできる……? きみは、ひとなのに……!』
「俺だって誰にでもできるわけじゃないぞ。零だから、だ。――あのな、洞でこの姿を初めて見た時、きれいだと思ったんだ」
『きれい……?』
「ああ、見とれた。どうやら、俺は何度でも零に惚れ直すようにできてるらしい」
さすがに恥ずかしくて、早口で言う。けど、本心だ。
離れてもう会えないかもしれないと怯えることに比べたら、零を置いて逝かなければいけないことに比べたら、姿は違っても傍にいて意思疎通できる今の状態は許容範囲だ。
そりゃ、人間の姿である方がいいに決まっているが。
『……壇の言っていた通りだ。きみはひどくたちが悪い』
「お前ら、二人でどんな話をしてるんだ?」
『きみが「たらし」だと』
「心外な。騙したことはないだろ」
『本気で言っているから、きみはもっとひどい。だが、だからこそ――おれは、きみに惹かれずにはいられないのだと思う』
「――で、お返ししてくれないのか?」
『おれは……』
零は迷っている。そりゃそうだ。零だって本当は、ふれあいたいと思っているのだから。それを、理屈で必死に押しとどめようとしている。
零は零だと腹をくくっている俺と違って、零は次第に元気がなくなっていっている。理由はきっと、自分の体が思い通りにならないことだけじゃない。
そうやって、俺から距離を取らなければ、と思い詰めて無理をしていることが、悪い影響を与えているのだと思う。
もっと自然でいいのにな。俺は、嫌なことは嫌と言うし。
病気で弱気になっている時こそ、誰かにふれて安心したいと思うものだから。
だが、あと一押し、と口を開こうとした時、
「方法がわかったぞ!」
と言いながら、伊佐地さんが部屋に入ってきたのだった。
【5】
「伊佐地さん……」
「何だ? 喜ばないのか?」
「タイミングってもんが……なんでもない」
早く知らせようと、わざわざ来てくれた伊佐地さんに文句は言えない。気持ちを切り替える。
『おれはどうしたらいいんだ?』
「待たせて悪かったな。――七代。お前、雉明と闘え」
「闘う?」
零と顔を見合わせる。疑問符を頭に浮かべた俺たちに、伊佐地さんが説明を続ける。
曰く、零は奴とぶつかったはずみに、奴が持っていたエネルギーを無理矢理押し付けられたらしい。その余分なエネルギーを取り込んだ状態のため、姿が変化して戻らなくなっている。
「なぜ奴が短期間でそれほどのエネルギーを得たのか、それがなぜぶつかったくらいで雉明に受け渡されたのかはわからないが、お前達が全力を出して力をぶつけ合い、余分なエネルギーを解放すれば元に戻る可能性が高いそうだ」
「なるほど」
『ならば、相手は千馗でなくとも』
「全力を出して、というのがポイントだ。今、他にお前と対等に闘える相手がいるか?」
『……』
「よし。じゃあ、今から洞に潜って――」
『……いやだ』
「おい」
何よりも待ちわびていたはずの零が発した、否定の言葉に驚く。
伊佐地さんも怪訝な顔をしている。
「雉明、どうした。何を」
『伊佐地せんせい、すみません。おれには、できません』
「零……!?」
止める間もなく、伊佐地さんが入ってきた時のまま開いていた扉から、零は駆け去ってしまった。
伊佐地さんに一度帰ってもらい、零を探して歩き回る。
そんなに遠くに行っているはずがないと思ったら、やはりそうだった。母屋の屋根の上、猫くらいの大きさまで縮んだ零が、ひっそりと気配を殺して伏せていた。
「見つけた」
『……どこ行けばいいのか、わからなかった……』
「そりゃそうだ。零の居場所は、俺の隣と決まってる」
『千馗……』
「ちゃんと、話をしよう」
零の横に座る。零は逃げなかった。
『きみとはもう、闘いたくない。おれは、二度ときみを傷つけないと誓った』
「あのな、結構失礼じゃないか? お前が本気だしたら、俺は怪我をする。俺はお前にまったく敵わないって言いたいのか」
零の考えとは異なることを、あえて口にする。零が慌てたように首を振った。
『違う、そうじゃない。きみはとても強い』
「ありがとう。零も強いよ。正直なところ、手加減なしなら、お互い怪我するかもな」
『いやだ。それにおれは……怖い。今のおれは、己の姿すら思い通りにできないんだ。闘っているうちに、理性をも失ってしまうかもしれない』
「けど、自然にエネルギーが失われるのを待つなら、数十年かかるらしいぞ」
『そんなに……』
「俺は嫌だな。どちらにしろ一緒に居ることは変わりないが、その姿じゃ零は手を出してくれないし、出させてくれないし?」
『いや、その……。……そういう問題なのか……?』
うろたえる零に、笑いかける。
「はは、もちろん、それだけじゃない。人同士だからできることが、たくさんあるだろ。うまく戻れなくても、傷つけ合ったとしても、俺は零の傍にいると約束する。だから、試させてくれないか?」
零は沈黙している。俺は寄り添って、彼が答えを出すのを待つ。
何時間でも駅前で人の流れを見つめていた零。みなと友人になりたいと言った零。彼は人という生き物が好きだ。
今は、昔のようにただ外から眺めるのではなく、人の中で生きたいと思っているはずだ。
そうして空の色が紅く変わる頃、微かな声が届いた。
『……わかった』
「ありがとう、零」
【6】
その夜、俺たちは洞に潜った。白も一緒だ。
準備体操代わりに洞に巣食う隠人を退けながら、最深部にある広間を目指す。
「そろそろか」
「一度では解放しきれないかもしれぬ。無茶はするでないぞ」
『わかった』
「了解。けど零、もっと大きくなっていいんだぞ?」
零は今、大型犬サイズだ。エネルギーを消費するという意味では、本来の大きさになった方が消費が早いだろうに、零は譲らなかった。
『無茶はするなと言われたばかりだろう。一度で済まないとしても、おれはきみが安全な方がいい』
「俺は何回でもつきあうよ」
『ありがとう。……白。もしおれが正気を失ったら、千馗を頼む』
「承知した」
白が神妙に頷く。
確かに零は、随分好戦的になっている。俺が手にしている札の力で強化した刀は、今日はほとんど使う機会がなかった。普段は控えめに俺のフォローをしてくれる零が、今日は自ら先に打って出ているからだ。少しでも己を消耗させて、俺の負担を減らそうというつもりなのかもしれない。
戦い方もどこか荒っぽく、それでいて的確に急所に食らいつく冷静さも持ち合わせていて、野生動物の狩りを見ているようだ。
零が恐れている牙や爪をふるう彼の姿を、だが俺はとても美しいと思う。
それに。
『千馗、どうしたんだ?』
黙り込んだ俺を心配して振り返り、小首を傾げる様子は、ついさっき隠人ののど笛を噛み切ったばかりとは思えない愛らしさだ。
零の優しい心は、姿が変化しても変わらずここにある。
「零にみとれてた」
『おれに? ……きみの目は、おかしい』
「ひどいな。本気だってのに。さて、この扉の先が広間か。開けるぞ」
『ああ』
重い扉に両手をかけて、ゆっくりと押し開ける。
広間には、何度か闘った隠人が復活しているはずだったのだが。
「何も、いない……? どういうことだ?」
しん、と静まり返った部屋に、俺たちの足音だけが響く。
首を傾げながら、慎重に歩を進める。
その時だった。
『何か、来る……?』
「あそこか!」
視線の先、地面がボコボコと沸騰したようにうねり、土ぼこりが舞う。
そして、その中心から、異形の者が徐々に姿を表した。
上半身はウェーブがかかった髪を腰ほどまで伸ばした、妙齢の女性のようだ。ただし、皮膚は真珠の様な光沢をした鱗で覆われている。腕や腹は人の形だったが、腰から下は完全に大蛇のそれで、とぐろを巻いている。
開いた口から二つに割れた舌が伸びて、シューシューと音を立てる。尾の先が地面を叩くと、地震が起きたように地面が大きく波打った。
「くっ……」
「この地のぬしのようじゃ。怒っておるのか?」
『来る!』
俺を守ろうと、力を解放した零が虎ほどの大きさに戻り、俺の前で牙を剥く。すると、女の目の色が変わった。
ふわりと女の髪が重力に反して浮き上がった。女から感じる怒気が高まった気がする。まずい。
「違う、俺じゃない!」
零に注意を促す。俺から女を引き離そうとしたのか、零は地を蹴って宙に浮き上がり、女の右側をすり抜けようとする。
『なッ』
突如、女が零に向かって飛び込んで来た。あんな重そうな体をしているくせに、なんて速さだ。
零は距離を取るのを諦め、女に対峙する。零が鋭い爪で女の首を掻き切ろうと動く。
だが、爪が女に触れた瞬間、感電したかのようにびくっと零が体を震わせる。
おかしい。零の腕は小刻みに震えるばかりで、それ以上動かない。
にたり、と女が嗤った。
次の瞬間、俺が目にしたのは、零の心臓の辺りに、女の腕が深々と埋まっている様だった。
『かはッ……!』
「零……!」
【7】
女の腕が何かを探すように蠢くのに合わせて、零の口から苦悶の叫びが上がる。
怒りで目の前が真っ赤に染まった。刀を握りしめた拳が震える。
身をかがめて力を溜め、女へ向かって切り掛かろうとした瞬間、白が俺の腕を掴んだ。
「待て!」
「白、止めるなッ」
「ええい、落ち着け! 零がおかしいのじゃ」
「んなのわかってる!」
「わかっておらぬ! ほら、姿が……!」
「!?」
女の腕が埋まった辺りが、ぼんやりと金色に光っている。その光が強まったり、弱まったりするリズムに合わせて、零の輪郭がゆらゆらと揺らぎながら小さくなっているように見える。しかも合間に見え隠れするのは……人の形?
立ちすくんでいると、女はおもむろに腕を引き抜いた。
意識を失ったらしい零が、支えを失って落下を始める。俺はその下へ走り込んだ。
「ぐ……っ」
「無茶しおって!」
地面に叩き付けられるところだった零を、両腕で抱きとめる。
白の焦った声が耳に届くが、予想していたほどの衝撃はなかった。
なぜなら、零は見慣れた人の姿に戻っていたからだ。
零を抱えて壁際へと走り、背を壁にもたれさせるように座らせる。零は眉を寄せて目を閉じていたが、呼吸は穏やかだ。女の腕が埋まっていた胸元も、肌に傷はなく、服に穴も開いていない。
それを確認してから、女へ向き直って刀を構える。
女は、金色に光る腕を自らの胸へと押し当てて恍惚の表情を浮かべていた。もう俺たちのことなど一瞥もしない。すっかり興味を無くしているようだ。
ゴオオオオオオオオ、と地鳴りのような音が響く。女の歓喜に応えて、大地が咆哮しているのか。思わず両耳を覆ってしまう程の大きさだ。
それが止む頃、女は出て来た時と同じようにうねる地面に沈んで消えていった。
「あの光は一体……」
「例の狐が急に力をつけたのは、あのぬしから御魂の一部を奪ったからだったのかもしれぬ」
「それで取り返しに来たってことか……?」
「零が得た力が、元よりあのぬしのものだったとすれば、持ち主に危害を加えられなかったのも道理じゃ」
「……かず、き」
「っ、零! 大丈夫か?」
俺を呼ぶ微かな声が耳に届き、零のそばへ膝をつく。軽く頬を叩くと、瞼が痙攣し、ほどなく零は意識を取り戻した。
「どこか、痛みは? 体、動かせるか?」
「特には……。あ……」
問いかけられて、ようやく自らの体に起きた変化を悟ったらしい。零は体の脇に垂らした自分の腕を、信じられないものを見るような目で見つめる。そして、恐る恐る掌を開いたり閉じたりするのを繰り返した。
「おれの手……」
「よし、動かせるな。痺れもないか?」
「……問題ない。……」
「ええと、零、どうした?」
「……」
零は何か言いたげに口を開いたが、うまく言葉に出来なかったようで、幼い子どもがぐずるような仕草で頭を振る。
そして、言葉の代わりに、うるんだ瞳で俺を見つめる。俺の心臓が、どくん、と音を立てる。目をそらせない。
零がゆっくりと腕を上げ、俺の頬に触れようとした時。
「何を呑気にいちゃついておるのじゃ、其方らは! また彼奴が襲って来たらどうするのかえ? すぐに此所から離れるべきであろう」
「いちゃ……って、おい、そんなつもりは」
「白、すまない」
「……!」
おいおい、否定しないで謝っちゃうのか零!
もう何と返していいのやらわからなくなっている俺の腕を、零がそっと押して避け、自分の力で立ち上がる。
「おれなら、大丈夫だ。地上に戻って、伊佐地せんせいにも報告しなければ」
「そう、だな」
「わかったのならよい。行くぞ」
まだ常とは違う鼓動を刻んでいる心臓を、落ち着かせるため深く呼吸をする。
先頭を歩き出した白を追おうと足を踏み出した時、くい、と服の袖をひかれた。零だ。
「どうした」
「今夜、きみの部屋に行ってもいいだろうか」
「あ、ああ」
「ありがとう」
数日ぶりに見る零の笑みはひどく眩しくて、心が騒ぐ。口にしたら、また白に怒られそうな気がしたので、俺は笑み返すだけにとどめて、今度こそ白の後を追った。
【8】
その晩。伊佐地さんへの報告を終え、お祝いだという清司郎さんと朝子さんの作ってくれた心づくしの料理を食べた後のことだ。
約束通り俺の部屋に現れた零に、俺は背中から抱きつかれていた。
背中に、零の体温を感じる。零が首を少し傾けて、そっと首筋に顔を埋める。
「少し、動かずこのままでいてほしい」
「ああ」
おずおずと伸ばされた零の右手が、肩、二の腕、肘、と掌で優しく俺の輪郭をなぞって、ゆっくりと下りていく。
身動きを控え、息を潜め、零の好きなようにさせる。零は何かを確かめたがっている。
俺の手までたどり着くと、零は掌で俺の指先を包みこんで撫でる。ごつごつした男の手なことが申し訳なくなるくらい、余程壊れやすいものに触れているようだ。
ひとしきり撫でた後、零は五指を絡めて二人の右手を繋ぎ合わせ、鼻を鳴らした。
「……きみを、感じる。ずっと、こうしたかった」
「だから遠慮するなって、」
「あのままではどこか感覚が鈍くて、力加減も難しいんだ。それに、手を繋げないだろう?」
「手を……?」
「同じ形のひと同士だから、こうして確りと繋ぎ合わせることができる」
絡む指に力がこもる。零の左手が腹部に回され引き寄せられ、体が密着する。
声に切ない響きをのせて、恋しかった、と耳元で零が囁く。
「触れないようにしなければ、と思えば思うほど、きみから目が離せなくなるんだ。それから、悲しくなった。どうしてもっと、きみに触れておかなかったのだろう、と。手を繋いで一緒に歩いていられる今が奇跡だということを、おれは少し忘れていたようだ」
「零……」
「きみの全てを、覚えておきたいんだ。もっと深くで、きみを感じたい。……だめだろうか?」
「ダメじゃない。けど、これで最後みたいな言い方をするな」
「これが最後だったとしても、後悔したくないんだ」
もしかしたらまだ、零はあの好戦的な姿の余韻に酔っているのかもしれない。
腕の力は強く、わずかな身動きで触れ合う部分が減ることも耐えられないというように束縛される。
零が感じていた苦痛を思えば悲しくもあり、俺に見せる執着が心地よくもある。これがつまり、惚れてるってことなんだろう。
「これが夢だったら、起きたらまた獣の姿に戻っていたら。考えると足下が崩れ落ちそうな恐怖に襲われる。だからこそ、もしそうなったとしても、後悔せずにすむ”今”を選択したい。きみが許してくれるのならば」
「許さないと思って聞くのか?」
「すまない。ずるい言い方だった」
「離さないのは俺の方かもしれないぞ?」
「構わない。離さないでほしい」
「わかってる」
「あ……。千馗……ッ」
むずがる零を一度引き離して、正面から抱き合う。ぴったりと馴染んだ二つの体が重なり合い、二人して満足そうな吐息をついていた。
心の一部はこれだけじゃ足りないと強請っているけれど、こんな穏やかな体温を感じて息を潜めているのも悪くない。お互い、我慢ができなくなるまでの少しの間だけ。
夜が明けても零は人の姿のままで、俺たちは手を繋いだままで。
目を覚ました俺たちは、どちらからともなく、引き寄せあうように口づけあった。”奇跡”が今日も明日も続いてくれることを祈りながら。
【了】
最後までお読みいただきありがとうございました!
おまけがありますが、こちらはR-18のためこちらには置けません。
・18歳以上
・主攻めOK(おまけは主零のため)
・pixivにユーザー登録している(※登録無料)
・pixivでR-18作品を表示する設定にしている(※詳細→こちら)
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