人の縁と好機は、自然と訪れるのを待つのがよいということ。
前へ
七代たちの卒業を待たずして、葉佩は鴉乃杜を去って行った。
別の遺跡に潜ることになってね、と葉佩は七代たちだけに本当の理由を語った。
騒がせたお詫びだと置いて行ったのは、皆守が作ったという冷凍のカレーが数食分。七代が依頼で届けた伝説のレシピの味を、十分に堪能させてもらった。
皆守の許可を得て、一食分をレシピとともにカルパタルに届けたので、お店で食べられるようになる日が来るかもしれない。
「寂しいか?」
夕飯後、自室で雉明とくつろいでいた七代は、少し思案してから問いに答えた。
「少しな。でも、またどこかで会えそうな気がする。その時まで、俺ももっと経験を積まないと。今はまだ、勝てるかどうか……」
「彼らには彼らの過ごしてきた時間が、彼らの生きる世界がある。そして、千馗にしか見えない世界がある」
「ん、そうだな」
「おれはきみと同じ世界を見ていたいと思う」
「見てるだけじゃなく、一緒に生きるんだろ。――で、今は何を悩んでいるんだ?」
何気なく問いかけられ、雉明は目を瞬いた。
「……気づいていたのか」
「まとまってなくていいから、思っていることを話してみろよ」
「……初めて会った樹海で……おれは、一緒に逃げようと言ったきみの言葉に逆らった。あの時おれは、ひとを思って怒る気持ちもまた温かいのだと知った。はじめから一緒に行けないことはわかっていたから、道が分たれる前に、きみたちを守ることができておれは嬉しかった。だがきみは……傷ついたのだろうか?」
一瞬、痛みを堪えるような表情をした七代は、問いには答えないまま、逆に雉明に問い返した。
「自分なら止められる、と思ったから零は残ったんだろう?」
「……そうだ」
「そして実際に、お前のおかげで全員が生き残った」
「……結果的には」
「つまり、零の判断が正しかったということだ」
「違う、そうじゃないんだ……」
雉明は力無く首を振った。今自分が抱えている懊悩を、どう伝えたらよいか分からなかった。
物事の正誤を問いたいのではない。今また選択を迫られたなら、雉明は同じように自分が残る道を選ぶだろう。それが、双方が生き残る最良の方法だと判断するからだ。
だが、今なら――そこに迷いが生まれないだろうか。
「今になって、どうした。葉佩さんに何か言われたのか?」
うつむくばかりの雉明に代わって、七代が言葉を引き出してくれる。
雉明はほっとして、口を開いた。
「……彼も似た経験をしていると言っていた。一緒に逃げようと差し伸べた手を、振り払われた、と。その時の事を思い出すと、今でも胸が痛むようだった」
「それで、俺を心配してくれたのか」
そうか、と雉明は思った。七代を肉体的に傷つけないためにした行いが、七代の精神に癒えない傷を負わせてしまったのではないか、と自分は不安になったのだ。
あれ程強い絆で結ばれている二人であっても、葉佩は時折皆守を試さずにはいられないという。それは、まだ葉佩の傷が癒えきっていない証ではないだろうか。
「おれのしたことで、きみが深く傷ついたと考えるのは傲慢な気がする。だが」
全てを言う前に、七代の掌が雉明の口元を覆った。
「俺を誰よりも深く傷つけられるのは、お前だよ」
真摯な瞳が雉明をとらえる。とくん、と雉明の心臓が鳴る。
「千馗……」
「けど、誰より俺を癒してくれるのも、零だから。気遣ってくれて、嬉しい」
掌が頬に移動し、そっとなでられる。雉明は目を閉じてその感触を受け止める。
「それに、傷も悪いばかりじゃないさ。ふとした瞬間に古傷が痛んで、大切なことを思い出すこともある。今度は間違えない、今度こそ失えない、と決意を新たにすることも。そういうすべてが、自分を形作っているんじゃないか? 今が幸せなら、過去の傷も愛おしいと思えるさ」
「千馗は今、幸せか……?」
「もちろん」
目を開けると、七代のまばゆい笑顔がある。
雉明の過去の全てが、七代に出逢うために、七代を救うために必要なことだったとしたら――。罪は罪として抱えていくとしても、辛いばかりではないのかもしれない。
人と人が出会い、絆を育んでいつか別れ、また誰かと出会う。思わぬ所で繋がった縁が、また別の縁を引き寄せる。そんな愛おしい人の営みの中に雉明を引き込んでくれた七代に、雉明はもう一度微笑みと深い感謝の言葉を捧げた。
「きみに逢えて、本当に良かった」
【了】
いつかまた、どこか別の場所で彼らが出会うお話を書けたらと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!